訃報 1968年卒 堤 祐準様ご逝去

1968年(昭和43年)法学部ご卒業で庭園班、初代古美術研究会副会長を務められました堤祐準様は、病気療養中のところ33日にご逝去されました。

堤様はここ数年体調不良であったそうで、享年78歳。ご葬儀は既に家族葬で執り行われたとのことです。

 

堤様は初代会長故内田喜三様と同期で、創部から2年続けて副会長を務められ、古美術研究会の礎を築かれました。

また、2015年の古美研50周年記念事業の際には療養中の故内田喜三初代会長に代わり、実行委員長代行として先頭に立って事業を成功させ、甃会の活動に多大なる貢献を果たされました。

 

ここに謹んでお知らせいたしますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

 

      <写真は201510月の50周年記念パーティーで挨拶をされている堤様>

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コメント: 7
  • #1

    飯田貞年(74年経済卒、庭園) (水曜日, 08 3月 2023 19:06)

    先日の語ろう会のおり、種村先輩から長らく療養されていらっしゃる旨を伺っていましたが、とても残念です。
    50周年準備委員会でお世話になり、初めてお話させていただきました。野球がお好きで神宮で青学の試合を応援するのを楽しみにしているとのことでしたので「いつか神宮でお会い出来れば」が実現に至りませんでした。
    春のリーグ戦は空から観守っていらっしゃるのではの想いで、共にスタンドから観戦させていただきたいと思います。合掌!

  • #2

    種村清六(69年卒・建築) (木曜日, 09 3月 2023 14:51)

    亀村さん、堤さんの丁寧な訃報連絡と弔電打って頂き、級友(私は留年有)としてお礼申し上げます。古美研創部者内田さんの依頼で同クラス8名が登録に名前を貸した仲間です。残念ながら今回の堤さんを入れますと既に6名が亡くなり、残り3名(松田、大木、小生)となり寂しい限りです。
    早世者の分を少しでも長く生きる気概で!当面は3年先の結婚55周年と2年先の古美研60周年迄健康で生きることを目標にします。堤さんにはテストの時お世話になりました。ご冥福を。合掌!

  • #3

    角替 稔 (木曜日, 09 3月 2023 18:28)

    創部間もない頃に古美研に入部しました。
    当時内田さんの補佐として副会長をしていた堤さん。
    穏やかなどっしりした印象で、話す言葉には九州弁が混じり親しみを感じました。
    決して前に出るような事が無く、それでいてみんなの信頼を集めていた堤さん。
    昨年は、畑を借りて夏の暑い日も汗を掻き掻き野菜を収穫していると元気に話していた、堤さんの日に焼けた黒い笑顔を想像していました。
    それが急に入院したとの話で、間もなく年末には一時帰宅と聞き驚きましたが、最近の種村さんの情報では話す事もままならず、奥様が傍についていると聞きました。
    それが・・・甃のホームページで訃報を知り万感の想いに浸りました。
    古美研の礎を築いた立役者の一人に間違いはなく、我々に、学生時代の青春のいい想い出を味合わせてくれた一人が又・・・・。
                             合掌

  • #4

    渡辺道子(71年卒 建築班) (木曜日, 09 3月 2023 21:32)

    先日の世田谷散策の折り、種村先輩より、堤さんが体調を崩され、入院され、一時帰宅されたにも拘わらず、すぐに病院に戻られたとお聞きし、だいぶお悪いのだなあと心配しておりました。
    あれから、二週間ほどでの訃報に接し、大変驚いております。
    私は高校二年で北九州市から東京に移り、2年後に古美研に入部しました。まだまだ九州が懐かしい時期でもあり、堤さんが福岡県柳川出身と知り、懐かしく、お話してみたいと思っていました。しかし新入生が4年生に話しかける事等、到底出来ませんでした。それから、半世紀以上、結局お話する機会も無く、とても残念も思っております。
    穏やかで、頼りがいがあり、温かいお人柄の印象が今も思い出されます。
    古美研創部期に尽力された堤さんのご冥福を心よりお祈り致します。

  • #5

    朝倉重寛(70年卒 彫刻班) (金曜日, 10 3月 2023 12:46)

    甃のホームページで訃報を知り、気持ちを表す言葉が見つかりません。
     思い起こせば、私は全くの偶然から古美研に入り、それ以来 堤さんにはお世話になりっぱなしでした。 副会長の立場から、会長より前に出ることなく、それでいて古美研の運営を取り仕切っていた姿が印象に残っています。その物腰の柔らかさ、やさしさの中にも毅然とした男の信念(九州男児の)を感じさせられることもあり、男というより人間の行きざまを教えていただいたように思います。
     闘病中ということは伺っておりましたが、お見舞いにもうかがえず残念でなりません。
    古美研の礎を築き上げた私たちの心のよりどころでした。もうお話をお伺いすることができませんが、きっと大空で多くの先輩方とともに見守ってくれていると思います。
     堤さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

  • #6

    武正滋(70年卒 彫刻班) (金曜日, 10 3月 2023 13:14)

    私はクラブに入ったのは堤さんが役員をやめられた後で、また、所属する班も違っていたので学生時代はあまり接点はありませんでした。OB会ではあの優しい眼差しで笑顔を讃えて接してくださりました。堤さんも私も10数年前に前後して前立腺癌を患い病状相哀れみでよくその話をしました。
    今日は、堤さんの弔いのため弘法大師が祀られている弘法山に行きその鐘撞堂の鐘をご冥福をいのりながらついてきました。
    西行法師の「願わくば花の下にて春死なん・・・」の歌のようにならず、桜の開花に間に合わなかった堤さん。相模湾のアサヒに照らされた光る海から満開の桜を見てください。謹んでご冥福をお祈りいたします。

  • #7

    大木晃(68年卒 庭園班) (土曜日, 11 3月 2023 21:06)

    堤君の体調があまり良くないことは聞いていたのですが昨年の12月に、腰の治療で病院に行っていた時堤君から電話があり、その時はまだ元気な声で逆に私を励ましてくれるほどでした、お互い頑張りましょうと言っていたのにこんなに早く堤君の訃報を聞くなんてまだまだ生きていて欲しかった、古美研の同期がだんだん少なくなるのは寂しいです、ご冥福をお祈りいたします。 合掌