「二人の絵師と復興との関わりから思う」鈴木誠一さんから投稿いただきました

5月の企画「関東大震災から100年〜初夏の隅田川震災復興橋巡り〜」は、只今募集中ですが、郡山の鈴木誠一さん(1983年史学科卒・庭園班)から寄稿文をいただきました。鈴木さんの隅田川、震災、復興についての思いを、こちらにご紹介させていただきます。

   ↑お写真もいただきました

 

以下、ご投稿です。

 

私が郡山市立美術館に在職していた約30年間、いくつかの浮世絵展を担当しましたが、うち、個人展として開催したのが歌川広重と歌川国芳の展覧会です。このふたり、実は同じ年生まれなのです。また、師匠が兄弟弟子ですから、現代の落語家で言えば鶴瓶とさんまと同じ関係になります。家の系図にあてはめればいとこ同士ですね。5月の「隅田川震災復興橋巡り」を(だいぶ)前に、このふたりの絵師と「復興」との関わりについてお話ししたいと思います。(たぶん私は参加できませんが)

前者の広重といえば代表作は東海道五十三次、それも保永堂版ですが、これは広重が絵師として広く認知されることになった出世作です。その広重の最晩年の傑作が「名所江戸百景」です。ゴッホをはじめとするヨーロッパの画家たちが驚嘆せしめた「おおはしあたけの夕立」などが有名ですね。この人気シリーズ、広重の生存中に完成せず、2代広重が完成させたものです。この、通称「江戸百」シリーズが始まった前年には安政の大地震がありました。実はこの江戸百の発行には、復興が始まった、あるいは完成した江戸の姿を描く、という趣旨も含まれていたと言うことです。したがって、この5月の行事のテーマには関連性に深い浮世絵ですね。

ちなみに、広重は本来武士、それも直参の御家人の家に生まれました。武士としての姓は安藤で、私たちが子供の頃は広重のことを「安藤広重」と読んだり書かれたりしていましたが、これは誤りで、絵師としての名は「歌川広重」です。あのお茶づけ海苔のおまけカードにも現在では「歌川広重(初代)」と書いてあります。今日、すくなくとも美術史学の世界では「歌川広重」で統一されています。古美研OB・OGはまちがっても「安藤広重」って呼ばないようにしましょう。そういえば学生時代に渡辺哲夫さんから「古美研の人間は鹿苑寺を金閣寺なんて呼ぶなよ」と言われましたっけ。渡辺さん、お元気そうでなりよりです。

ところで、安藤家は幕府の定火消同心の家で、現在の皇居にほど近い場所に組屋敷がありました。定火消はその名のとおり消防関連の職業ですが、町火消と違ってその対象は江戸城です。江戸城で火事や地震があったときに駆けつけるお役目で、そのために城の近くに屋敷が与えられていたわけです。広重は若くしてこの家を隠居し絵師となったわけですが、災害復興という件については敏感だったのかもしれませんね。

後者の国芳は、ここ十数年のうちに評価が一気に高まった絵師です。室町の雪村周継(郡山市には雪村が最晩年に棲み終焉を迎えた雪村庵があります)をはじめ、伊藤若冲、曽我蕭白、河鍋暁斎などとともに、いわゆる「奇想の系譜」と言われる絵師のひとりとして、彼らとともにあっという間に評価されるようになりました。30年くらい前には若冲なんかは「わかおき」なんて呼ばれていました。国芳はほぼ同じ時代の広重や北斎、寛政の頃の歌麿や写楽に比べて、浮世絵師の中でもその他大勢のひとりのような扱いでした。

私が国芳展を行ったのは201111月、つまり東日本大震災の8ヶ月後でした。震災直後、郡山市は2011年度上半期(9月まで)の行事の中止を決定していました。そのなかには5月からの「入江泰吉展」もありました。それ以降の行事は復興の進行に応じてはさらに中止もあり得るということで、11月開催予定の国芳展は微妙な状況だったのです。震災直後には、個人的には中止もやむなし、と思っていました。しかし、4月末くらいから、美術館はいつ再開するのか、という市民からの問い合わせがくるようになりました。また、小中学校の校長会からも市に対して美術館再開の要望が出されました。そのため、7月中旬からの美術館再開が決まり、国芳展も無事に行われるようになりました。

しかし、私たちは微妙な感情を抱いていました。校長会からの要望は、原発事故のために遠足や運動会、はては体育の授業などの屋外行事がすべて中止になり、せめて校外学習の場として美術館に行きたいという学校現場からの思いがあったからです。私たちとしては、原発事故の「おかげ」で美術館が再開されるのか、と思いがあったからです。

その思いを前向きに変えてくれたのが「なでしこジャパン」のW杯優勝でした。メンバーにはふたりの東京電力サッカー部所属および前所属の選手がいました。震災直前まで福島第一原発に勤務(震災時は九州で合宿中)していた左サイドバックの鮫島彩さん。数ヶ月前に移籍していたジョーカー的フォワードの丸山桂里奈さん(最近は夫婦漫才師?)です。自分たちの()勤務先が引き起こした最悪の事故によって、彼女たちの生活の場のそば近くに住んでいたすべての住民が他の都県、市町村に避難を強制されました。責任を感じないわけはありません。自分たちはのうのうとサッカーをやっていていいものか、そう思うのも当然でしょう。そんな彼女たちも、佐々木監督はじめ周囲の人たちからの支えを受け、自分たちができることはサッカーをとおして被災地を勇気づけることだと気づき、そしてあの活躍を見せたのです。鮫島さんは全試合フルタイムに出場、丸山さんはドイツ戦で決勝ゴールをあげました。テレビ中継はほとんど深夜から早朝でしたが、多くの被災者が避難所のテレビを見て声援を送り、彼女たちの姿に大きな力を得ていたようです。

私たちの思いや、やろうとしている美術展なんぞは、彼女たちの原発事故への思い、そして成し遂げた偉業に比べればたいしたことではありません。しかし自分たちのやれることで少しでも被災者の「心の復興」に貢献できたら、という思いがわいてくるのを感じたものです。震災復興の最優先は命の救済、次いでライフラインの復旧です。スポーツや文化事業は優先順位的には最後尾に近いものです。また、被災者の復興度合いは、その被災状況によってひとりひとり、また世帯ごとに違います。しかし、早めに医療的、物理的な復興の目処がたった人たちから順に「心の復興」を求め出します。そのときがスポーツや文化事業の出番です。復興支援の基本は「やれることからやる」、私たちができることと言えば、美術展をとおして「心の復興」を求めている人たちを癒やすこと。そして、国芳の作品には笑いのペーソスはじめ、爽やかさ、痛快さ、そして諧謔の味がふんだんに含まれています。「心の復興」には最高の絵師でした。

さて、話をもとに戻しましょう。この国芳展の出品作品のひとつに「東都三ツ股の図」がありました。三ツ股とは川の流れが三筋となる場所で、当時の古地図には、現在の清洲橋から箱崎付近に「三ツ股」の文字が見えます。この作品が一挙に有名になったのは、対岸に描かれた高い建造物がスカイツリーに似ている、と言われ出してからでしょう。国芳の予言では、などという声もありましたね。井戸掘りのための櫓、という説が最も多いようです。

添付した写真は、国芳展の直前、20111031日に私が清洲橋の上から撮影したものです。画面に描かれた橋は、右から中央に永代橋、左は萬年橋と言われてきましたが、現実には永代橋、萬年橋、スカイツリーを同じ画面に加えるのは無理があります。しかし、日本絵画には同じ画面に違う空間や時間の光景を描く技法もありますから、まったくあり得ないとはいえません。スカイツリーに擬せられた建造物も、浅草ではなくて現在の江東区のどこか、という説もあり、伊藤雅明とかいう、黒姫山の世話で発掘の仕事をしているおじさんの家の近くかもしれません。皆さんも5月には、国芳の気持ちになってこのあたりを歩いてみてください。ここがコースに入っていれば、の話ですが。

 さて、私は一昨年に定年退職をして、直後の1年は日本ガラス工芸学会の機関誌に投稿したくらいで、ほぼ休眠状態でした。それが昨年の3月末に郡山市役所の人事課から、市史の編さんの仕事をしてみないか、と誘われました。それで4月から市史編さん室に会計年度任用職員という立場で再就職しました。郡山市は昭和40年代に全11巻からなる市史を出版し、その後10年ごとに続編を出してきました。今度は続編52年後に出すことになっていて、その年は郡山市が市制を施行して100周年になります。続編5の対象になるのが2012年から2021年の10年間、つまり、震災の一年後から始まりますので、震災からの復興の歴史が中心となり、後半はコロナ禍が出てきます。ほぼ災害の10年史になりそうです。私も国芳展以降、展覧会のタイトルの前に「復興支援」と冠がつく展覧会を4件担当しましたが、ひとつひとつ思いが込められた展覧会でした。いずれはそのあたりも寄稿させていただけたら、とも思っています。

 

                     鈴木誠一(83年史学科卒・庭園)

 

 

<note:セピア色の写真… >

「古美術を語ろう会」は東京での開催が主となっており、こうして投稿をいただけることを嬉しく思います。

参加の難しい、特に地方の皆さん、お声をお待ちしております! 

古美研の思い出・近くにはこんな名所旧跡があるよ・このような古美術との出会いがありました・現在の暮らし… などなど

HPをもっと活用していただきたく、投稿を歓迎いたします。

 

(セピア色の写真は甃会・現会長の頃の古美研)

ところで、このセピア色とは語源はイカ、イカ墨の色らしいです(イカ墨から顔料が作られた)

ロマンチックでも甘美でもないんですね、

イカ墨色ねぇ…